人生を決めるのは「才能」ではなく、〇○である
どうも、Cangstenです。
お久しぶりです。
下書きしていたものを何回か、投稿したのですが、思っている出来ではなかったので、興味がある人だけ、見に行ってください。
礼儀について書いています!
それでは、本題に入らせていただきます。(今日はとても長いです)
人生を決まるのは、「才能」ではなく、「〇○」である
皆さんは、どう考えるでしょうか?
人生を決めるのは「才能」ではなく、「習慣」である
「本来無一物」「無一物中無尽蔵」という禅の言葉があります。
人間はもともと、なにも持たずに裸で生まれてきます。
このブログを読んでいる今、あなたがこの世に来てから手に入れたものばかりではないでしょうか?
持ってきたものは1つもありません。
(もちろんこの世界には、前世の記憶があったという興味深い出来事が起こる可能性はあるのですが、、、)
ほぼ全員が何も持たずに生まれてきます。
自分の能力を使って「生きるために必要なもの」から「よりよく生きるためのもの」まで、「たくさんのもの」を手に入れて生きています。
そして、人が「手にするもの」には決して小さくない差があります。
手にしたものによって今の結果、環境を手にしていると考えてもいいのではないのでしょうか。
それでは、その違いを生み出しているのは何でしょうか?
ほとんどの人たちが「生まれた環境と持って生まれた才能によって、手にするものが決まっている」と、そう思い込もうとしています。
自分の責任ではなく、別の何かの責任にしておけば、自分が傷つかなくて済みからです。
生まれた環境が「手に入れるもの」の質や量を決定していないことは、多くの伝記を読んでみればわかります。貧しく恵まれない環境に生まれた人の若いころの経験が、将来の大きな活躍につながっている、と気づきます。
むしろ、裕福な家庭に生まれたばかりに様々な経験を積むことができずに人生を台無しにする人もいると思います。
もちろん、貧しい家庭に生まれて、一生苦しい生活を強いられたり、裕福な家庭にうまれて、一生豊かな暮らしをする人もいます。生まれた環境が「手に入れるもの」をそのまま決めている人がいるのもまた事実です。
つまり、生まれた環境は、人生で「手に入れるもの」に影響を与えているが、それがいい影響なのか、悪い影響なのかを決めることができないというとです。
人生を決めるのが、環境でないとするならば、才能ということになるのでしょうか?
それももちろんNOといえます。
才能に恵まれながらも、その才能を生かしきれずに終わる人生がたくさんあります。素晴らしい才能を持っていたのに、間違った使い方をして不幸な人生を送る人だってたくさんいるでしょう。
素晴らしい才能が素晴らしい結果を引き寄せるとは限りませんが、
素晴らしい習慣が素晴らしい結果を引き寄せる
どの時代のどの国でも成立する真理だといえるのではないのかなと思います。
習慣にも、良い、悪いがあります。
いいだろうと思って、続けた習慣が、思った結果をもたらしてくれなかったということは人生にはたくさんあります。
その基準はどう決めるのでしょうか?
そんな話を次回したいと思います!!
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、次回の投稿をお楽しみに!